2019年9月12日

懐かしいムーア

懐かしいムーア。
投稿者 野村一夫 日時 2008年8月23日 (土) 18:33 01社会学の領域 | 個別ページ
最初のグローバル社会学の構想(ムーア)
Moore, Wilbert E., 1966, “Global Sociology: The World as a Singular System,” American Journal of Sociology 71(5): 475-482. Reprinted in: Roland Robertson and Kathleen E. White (eds.), 2003, Globalization: Critical Concepts in Sociology, Vol.I, London and New York: Routledge, 47-56.

  Routledgeのグローバリゼーションのアンソロジーを見ると、1966年にウィルバート・ムーアが「グローバル社会学──ひとつの単数システムとしての世界」という論文をAJSに書いていることがわかった(Moore [1966] 2003: 47-56)。非常に先駆的な論文である。ムーアと言えば『社会変動』という訳書があり、学部のゼミで読んだ記憶がある。当時は「社会変動」が理論上のキーワードだった。『社会変動』の原書は1963年に出ているから、その三年後の論文ということになる。
 ムーアは「社会学のアメリカ化」とそれに伴う「データ領域に広がる偏狭さ」について述べたのちに、「開かれた心」として相対主義的な傾向についてふれる。さらにムーアは、ソローキンの『社会的・文化的動学』が西洋世界に限定されているとは言え、社会的・文化的システムと超システムを扱った画期的な業績だと評価する。超システム(super- systems)とは、さまざまな国民国家の単なる境界線あるいは歴史の短い時代を超越するものである(51)。また、パーソンズやディヴィスやレヴィたちが人類学を再発見したことにも注目する。これらの試みにはさまざまな矛盾があるものの、大いに役立つものだと言う。
 第一に、多文化国家は統計的にノーマルなものであって、現代世界にあって例外状態ではない。第二に、いくつかの最強に見える国家政体も、多元主義という長所をもっているものである。第三に、これらの社会内的な確認点は範囲としては脱国家的である。
 しかし、これらがそのままグローバル社会学なのではない。この方向の1つのステップにすぎない。世界はひとつの単数システムである。どこの個人の生活も、ますますすべての出来事とプロセスに影響を受けている。
 要旨はざっとこんなものである。グローバル社会学を具体的に構想しているわけではないが、冷戦時代にあって、よく構想できたものである。
 そう言えば、社会変動論を学んでいるときに、収斂理論というものも勉強した。日本では辻村明がキーパーソンである。東西冷戦時代に、東側と西側が収斂しているという理論で、当時は信じられなかったが、その後の歴史はその通りになった。今思うと、収斂理論はグローバル社会学の先駆けと言えなくもない。

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