2019年9月12日

「グランド・セオリーの帰還」から

すでにたち消えた本の構想メモから。

投稿者 野村一夫 日時 2008年8月16日 (土) 12:43 01社会学の領域 | 個別ページ
「グランド・セオリーの帰還」から

 目次構成を考えている。とくにメゾ社会学の内容がすっきりしないことと、そこに入れにくかった民族や階層が社会問題論に組み入れていることの偏狭さから逃れたいことと、ルーマンが家族を教育や宗教や法などと同列に並べていることへの違和感を解消したかった。
 キーワードは「分化」である。いろいろたどってみた末にジョナサン・H・ターナーとディヴィッド・E・ボインズの「グランドセオリーの帰還」という論文にたどりついた。Jonathan H.Turner and David E.Boyns, "The Return of Grand Theory," Jonathan H.Turner(ed.), Handbook of Sociological Theory, Kluwer Academic/Plenum Publishers, 2001, New York, pp.353-378.
 ミクロとマクロをリンクする戦略には、ミクロ偏重主義(ブルーマー、ガーフィンケル)、マクロ偏重主義(パーソンズ、ダーレンドルフ、ブラウ)、中範囲の理論(マートン)、行為から構造へのモデル構築(ミードとパーソンズ)、形式社会学(ジンメル)、演繹的還元主義(ホマンズ)、行為主体と構造の二元論(キデンズ)、多次元的接近(リッツァー)がある。
 ターナーたちは、これらに対して、ミクロ、メゾ、マクロをリンクする理論としてグランド・セオリーを位置づける(359)。物理的世界における重力のように、さまざまな社会的な支配力(social forces)によって現実が支配されていると考えようと言う。そして、ミクロ、メゾ、マクロのそれぞれのレベルにおいて作用しているさまざまな支配力について考察を進めていく。
 マクロレベルの支配力は、人口、生産、再生産、分配、規制の五つである。メゾレベルの支配力は分化と統合である。ミクロレベルの支配力は感情、欲求、シンボル、役割、地位である。これらの支配力が相互に埋め込みされているかを問うというのがグランド・セオリーの課題ということらしい。埋め込み(embeddedness)が強調的に主題化されている。
 社会学の全体像を描くという私たちの目的から見て、このようなグランド・セオリーの構想は興味深い。ミクロな支配力が対人的相互作用の出会いを構造的産物として作り出し、メゾレベルの支配力が集合体群(corporate units)とカテゴリー群(categoric units)を構造的産物として作り出し、マクロレベルの支配力がさまざまな社会制度を構造的産物として作り出す。
 アイデアとして取り入れたいのは、メゾレベルを集合体群とカテゴリー群に分けて論じていることだ。もとはA.Hawley, A Theory of Human Ecology, 1986に由来するようだ。集合体群は目的・目標を追求するために組織された活動がそこでおこなわれるもの。カテゴリー群は個人を区別する一連の特徴のことである(362)。集合体群は、複合的組織、親族、都市、大きなコミュニティ、集団(ミクロレベルの出会いと区別された)を指している。カテゴリー群は年齢、ジェンダー、エスニシティ、社会階級を含んでいる。
 私にとって発見だったのは、とくにカテゴリー群の位置づけがメゾレベルであるということである。これによって、本書の構成も大幅に変更することになる。ただ、ちょっと疑問だったのは分化という支配力がメゾレベルに位置づけられていることだ。マクロレベルではないのかと思った。

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